今日も瀬戸内は美しいです

日記 ここだけの暢気で気儘で勝手なはなし

2016.11.15

・あるモノと出来るコト、からの雑思考めも

そこにあるモノと、そこで出来るコトは、別に考える。と、いうことを忘れがちなのかもしれないと思う。モノがあるから出来るコトがある、とモノコトをセットで考えるだけで思考停止になっている人が多いのではないか。もちろんセットもパターンの一つだけれども、それぞれ個別で扱うパターンもあるし、その方が縛りが少ないので発展的な発想と言えるかもしれない。(たまに、モノコトそれぞれを言い訳にして、本当は前に進みたくない、という活用をしている場合もあるので、それは察する必要がある。)

ポイントは、目的に対して不足をどうやって補うか。補完部分は、そこに「ある」かもしれないし「ない」かもしれない。「モノ」かもしれないし「コト」かもしれない。不足を考えるとき、求められるデザインが条件になる。デザインには、成果物の見た目だけではない、もの、コスト、システム、プロセス、人、環境、工程、などなど要素は様々ある。このリ・デザインが、考えるときの醍醐味のひとつ。(ネガティブな言い方をすると、デザインは、条件に対する妥協と言い訳の積み重ねとも言える。そう、あるとき気づいてしまった。ポジティブに言えば、そこが楽しいところ。)

この時、いろいろなモノやコト、デザインがどれだけ思考ストックに入っているか、どれだけの視野幅を持って想定し対策が取れるか、という経験値によって成果物の質が変わってくる。

経験値を広げるために、常識というものは如何に狭い世界でしか通用しないものなのかを実体験するために、一番いいのは、異なる複数の業界を経験することだと思う。海外に行ったかのようなカルチャーショックを受けるだろうと思う。それまでの自分の思考世界が小さく萎んでいき一つの惑星と化し、その周りにはさらに大きな宇宙が見えるようになる。そして、未知なる惑星がたくさんあることに気付く。業界という枠組みだけではなく、会社ごとにも異なるだろうし、あらゆるコミュニティには、それぞれの世界があることに気付く。視座の網目が、一層細かいものになる。そして、自らの無知と、未知の無限さに気づく。

 

・美しさ、仲間

いつも心にある言葉がある「美しさ」。あらゆるものが目指すところを表現する言葉だと思う。ある素晴らしいプログラマーの子と話している時に、ふと彼が口にした。プログラミングは美しくなければならない、と。一瞬、プログラミングは正確さだけで、美しさってなんだろう?と思ったが、以前に建築設計者も同じことを言っていたのを思い出し、腑に落ちた。複雑になってくると、技術的に正解はひとつではなくなり、間違ってはいないがより良いものを選択する時、その基準はわかる人にだけわかる「美しさ」なのだと。その「美しさ」を共有できるのが、本当の「仲間」なのだと、私はそのとき思った。